宗教法人 瀧法寺

伊奈瀧大宝院神宮寺萬徳山 瀧法寺

天智天皇ゆかりの紀伊之国十三仏霊場  伊奈瀧大法院萬
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熊野古道の要衝として
高野山の風景

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道、熊野古道は世界遺産として登録された事もあり、注目度が増していますが、その参詣道は大きく分けて5つあり、
□紀伊路(渡辺津-田辺)
□小辺路(高野山-熊野三山)
□中辺路(田辺-熊野三山)
□大辺路(田辺-串本-熊野三山)
□伊勢路(伊勢神宮-熊野三山)
となっています。
その多くは、「熊野参詣道」として国の史跡に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産として登録されました。
瀧法寺は熊野古道、紀伊路の要衝として参詣者の皆様を迎えたのです。

  • 熊野古道の全景

    熊野古道の全景

    熊野古道の中には、国道や市街地の道に吸収されてしまったものもあります。これには紀伊半島の地理が関係していて、どこまでも続く山々と谷に覆われた紀伊半島は古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られ、古人の拓いた道をなぞるように現在の道路が開発されていったからです。
    世界遺産に登録されたものが熊野古道の全てでは無く、熊野詣それ自体の盛衰もあって正確な全容が不明になっている区間があること、歴史的な変遷から生じた派生があり、「忘れられた」ルートが存在するのです。

  • 熊野参詣への要衝として

    くまの道の風景

    後白河院、後鳥羽上皇ほか、鹿ケ瀬峠を越えての熊野詣や往来は総て柿ノ木峠を通過し、瀧法寺へ参詣されその御幸に預かりました。
    当時の参詣者、往来者にとって瀧法寺は旅の無事を祈る場所であると共に、その先の神々の御加護を賜る場所としても、大変重要な役割を担っていたのです。

  • くまの道の道標の発見

    現存する道標

    ほとんどが現存の道に吸収されてしまった熊野古道、紀伊路。
    日高郡内から熊野への道を結び、川辺町(日高川町)と印南町が接する伊奈瀧の何処かに「くまの道」の標石が存在すると想われていました。
    古書や郷土史に出てくる話を読む事でしか、その事実を証明する術はありませんでしたが、昭和三十年頃から郷土史に携わる諸先生方の協力もあり、昭和五十年六月、川辺町下和佐、柿ノ木峠の入り口に建てられていたくまの道の道標が発見されたのです。

熊野古道の歴史を思ふ
  • 瀧法寺から県道までの下り道

    瀧法寺の界隈にはこのような歴史の息吹を感じる場所が沢山あります。
    ご参詣の折り、その足で悠久の歴史に思いを馳せるのも、お参りに来られた際の醍醐味です。

    瀧法寺を出て県道まで300m程の下り道があります。
    様々な木々や花々が咲き、四季の美しさを歩む人々に映し出します。
    秋には、真っ赤な紅葉のトンネルが出来あがり、さながら極楽浄土の色合い、幻想的な風景を生み出しています。

  • 王子田圃

    県道に出ると本来の道であった場所は写真にありますように草木に覆われてしまっています。
    向かって右側の県道を小川に沿って西へ60m程いくと「皇子田圃」があります。昔から伊奈瀧の霊水を使って稲作が行われており、後白河院、後鳥羽上皇さまなどにこの田圃の上米が献上されました。

  • 立石の祠

    県道を立石方面に進むと祠があります。
    これは、もとこの地区の鎮守寺であり、当時道を歩いて来た人々が安全、無事で進めますようにという祈りを捧げる場として、またちょっとした休憩の場ともなっていたのです。
    今は祠のしたに道がございますが、当時は横にある細い上り坂になっている道でした。

  • 柿ノ木峠へ

    一見すると何も無いように見えますがここから柿ノ木峠へと抜ける道が続きます。
    当時の人々はここを通り、往来しました。
    この付近の山々は水に恵まれており、湧き水などがたくさんあります。旅に疲れた人々の喉を潤す癒しとなっていたでしょう。

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