紀伊之国十三仏霊場第十三番御札所、伊奈滝大宝院神宮寺萬徳山 南陽山南龍院おたき瀧法寺は霊験あらたかなる宝の玉の輝く日本唯一の宝参り霊場でございます。
■
トップページ
■
瀧法寺に伝わるお話
■
瀧法寺基本情報
瀧法寺に伝わるお話
天智天皇の勅願宝参り
第38代天皇、天智天皇は瀧法寺に宝参りをなされ、宝の玉の輝くなかに金龍満願不動明王様を見入られ、災難厄除、病い抜き、交通安全、願い事成就のお告げをされており、その吉兆において伊奈瀧に大宝灯を拝領しています。
熊野古道の要衝として
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道、熊野古道。瀧法寺は熊野古道、紀伊路の要衝として参詣者の皆様を迎えたのです。
お大師さまの御来光
弘仁元年(八一〇年)、お大師さまは西国観音霊場第四番、施福寺(当時の泉州マキノオ山)より御来光なされ、秘密真言の御修法を行い、曼荼羅となって現れた最尊無上の十三佛の萬徳を頂き、宝大師となりました。
その際、参籠している多数の修行者の協力を得て、阿宇大本願を根本となされる十三佛虚空藏大菩薩を御本尊とし、伊奈瀧大権現と三宝大荒神を御奉祀し、伊奈瀧大宝院萬徳山瀧法寺をお開きになられました。
豊臣の軍勢による焼き討ち
紀州有田、日高の領主であった湯川直春は瀧法寺を深く信仰しておりました。 しかしながら湯川一族が徳川方に内通していた為、瀧法寺は天正13年(1585年)豊臣の軍勢によって焼き討ちにあいます。
印南原村を寺領としていた瀧法寺はその後60年あまりの間、復興に苦しみます。
古部トミさんの尊い寄進
焼き討ちの後、お坊さん達は一心に信仰を深め、おつとめに励んでおりました。 その頃、信心深い古部という家があり、働き者で器量も良いトミという娘が再興の為に自らの全てを投げ出して働いたお金を奉納します。 奉納を賜った老院現は涙を流してこれを賜り、瀧法寺再興の大きな一歩となったのです。
古部トミはその後、楠右エ門という立派な人間と一緒になり、「たきひめさま」という娘を授かります。
夫婦杉と瀧姫さま
トミさんは毎日の宝参りの道中に楠右エ門に見初められ、夫婦になります。
二人とも明るく働き者で、おたきさまへの願掛けが実り、滝姫さまが生まれます。 滝姫さまを授かった古部夫妻は喜び、おたきさまへの感謝の証として夫婦杉を植えます。
瀧姫さまはすくすくと育ち、母親であるトミさんに似て、たいそう美しく聡明で気立てのいい娘になっていきました。 高野山から帰られた瀧姫さまは、ますます美しく、明るく、そして気品も備わってきました。 村中の若い青年が瀧姫さまへお近づきになろうとされますが、瀧姫さま中々首を縦に振られません。
おたきさまへの巡拝を終えようかという時、初夢に契を結んだ「聖さま」と出会い夫婦になります。 その場で四方山の話をなさる間に、夢の中へと入った瀧姫さまは聖さまに言われます。
「我はこれ不動明王の化身なり 共に衆生を救わん」
そうおっしゃると聖さまは瀧の中へ、み光となって消えていったのです。 愛で導く愛染の悟りを開けとの御教えを頂いた瀧姫さまは、龍王である聖さまへこの身を捧げ、大宝光明の中に尊い肉身を供養するのでした。
滝姫さまの悟りと供養を知った印南伝之丞大居士は、この地に瀧姫愛染明王堂を建立します。
そして伝之丞大居士は瀧法寺の佛門に入り、精進を重ねながら我を忘れて奉仕の功徳を積まれ、心ゆくまで瀧姫さまをお供養されたのでございます。
ページトップに戻る
■
トップページ
■
瀧法寺に伝わるお話
■
瀧法寺基本情報
伊奈滝大宝院神宮寺萬徳山
南陽山南龍院おたき瀧法寺
〒649-1532
和歌山県日高郡印南町南原493
TEL/FAX
0738-44-0436
Copyright 瀧法寺 All rights reserved.